Skeptics – III
ジオメトリコがまるで良くなかった1年にソルマニアのボックスを買うとかヴィヴェンザの中古を探すとか、そんないつもの場所で性欲を満たそうなんて間違っている。外に突き出せ男子よ。ということで、このベスト5セレクション、いきなり女子の閲覧は厳禁お断り。というのも、これほどまでに悪趣味な音楽もさすがのあの子やその子やこの子の顔が歪んでしまうだろうよ。苦いの飲まされた時みたいな顔。オセアニアン・セミインダストリアルとしてオブスキュアな存在価値を保ち続けてきたSkepticsが、ポストパンクな僕のあそこを掴んで離さないSkepticsが、もう一度言う、あの誰も知らないSkepticsが、もう一回言う、インダストリアルとセミインダストリアルを分つそのトーテムであったあのSkepticsが、おいおいどうした、突然のリイシュー発表。再発されたのは勿論名作『III』な訳だが、どうだいこのジャケット、初めましての方には最高だろ。オリジナルは87年、バンドとしては2枚目のフルヴァイナル。1枚目は85年の『Ponds』、ニューウェイヴのニューにかろうじて括ってもらえた当時のポストパンク下降期にあたる夕暮れ時のカラスが鳴いちゃうつまんないよ帰りたいよぉスレスレな音楽、そんなに言われる程過激でもなかった中途半端な連中が突然この2枚目で開花。音色すべてがビザールに変化、気色が悪いし、とにかく居心地が悪い。どうしたよ、おっかねぇな、なんだよ急に。おまえら耳どうした。耳なくなっちゃったのかな。ねぇ。今ね、テレビに入山杏奈(あんにん)が映っているので、こんなテキスト打ち込んでる自分を殺したい気分だが続けます。議題はSkepticsがどうしてこんなにも情緒不安定になってしまったのか。ヤギだか羊だかの恐怖に怯える鳴き声、そこにすかさずレイヤリングされるボロボロのシンセサイザー、意味不明なバランスでこの2項が並走し出すと、来るだろ来るだろ、やっぱり来たし、ドタバタなドラムと家畜シックなヴォーカルが。怒ってんのかな、とにかくうるさく飛び交いはじめる。そんな音楽。ビザールエクスプロージョン。耳は失うし、心は失うし、そうだ俺等はそもそも失うものなんて何も無いという事で何を血迷ったか、国営放送で放映禁止になった「羊の虐殺シーン」を盛り込んだミュージックビデオを引提げ1曲目「Affco」で僕のうなじだけは正確に捉える(YouTubeで確認出来ますが、動物愛護のポリシーをお持ちの方はどうか見ないで頂きたい)。立体機動装置でミカサとリヴァイが残虐などうのこうのをきったねぇ殴り書きのどうのこうので不安感を煽るあれのうなじとは大違いだ。とにかくいきなり羊の頭にどぎつい機械を打ち込む。内臓を取り出して軽くなった身体は崩壊しながらも新建築へと向かう。全部映像で確認出来るし、このアホみたいな音楽で見事にその残虐性を具現化。表現というかドキュメントだ。そしてこの曲、セミインダストリアルを象徴するかのように、とにかくとにかく逃げる様に急ぎ足だ。セミの定義付けとして僕が唱うのは基本概念がポストパンク寄りにあるという事だ。ノイズやビザールを纏うのは必須条件として、その姿勢はあくまでも逸脱した未来のパンクミュージックだ。表面4曲目の「Turnover」なんかもそのいい例かもしれない。劈くギターに、やっすいサンプラーが鳴らすビザールに、嘔吐感満載の踊れるシックミュージック。ギターちよーーーーかっこいいんすけど、まじなんなんすかこれ。買わなくていいけど、死ぬまでに一度は触れて欲しいセミインダストリアル名盤。90年の『Amalgam』もかっこいいが、これはロック臭のする曲が幾つかあり、残念な場面が多い。まずは『III』だけでいい。
Gabriel Saloman – Soldier’s Requiem
そもそもジャケがかっこいい。むしろ僕には上品すぎる。名前を見て、あぁ、とか、おぉ、ぐらいだったかな、あそこのあいつだ、ぐらいかな。人の目も気にせず、だれのことも気にせず、電車に乗って「あのバンドのあいつ」だとか思いながら、その時はなんだったかな、ファクトマガジンだったかな、アイフォンで。特集記事に貼付いてたサウンドクラウドとかいう試聴プレイヤーで裏面1曲目の「ブーツ・オン・ザ・グラウンド」をアホみたいな顔して聴いていたアホみたいないつもの帰り道といつもの死にたい気分はいつもすべてがセットでいつもの様にその日その日のいつもをやり過ごすいつもの帰り道。おお、とか、ああ、とか。どうですか、僕のこの無駄な文章。まだ何も作品に触れていない。このまま終わりたい。お疲れさまっした。さて、やっぱりあのバンドのあの人なんだと。あのバンド、どのバンド、このバンド、そのバンド。僕個人的な話としては00年以降のパワエレ名盤として常々友人達に公言している(僕に友人なんか居ませんが、居ると仮定して)『Psychic Secession(05年)』『Bring The Neon War Home(04年)』、その、あの、この、どのあの、そうです、このGaberiel Salomanはあのイエロースワンズだという事実。この曲も7、8分すると分かりますよ、煌めく様な音質的恍惚よろしくパワーエレクトロニクスが耳朶をそっと傷付ける頃。6年間履き続けてる僕の薄汚れたエヌハリの517の白タグじゃない方のポッケに詰め込んだ想い出ぼろぼろのティッシュで耳をなぞれば赤く染まる頃。因に相方ピート・スワンソンの『Punk Authority+』も2013のベスト20ぐらいの範囲でピックアップ出来るかな、今は触れないけど。触れてもいいけど。なんだっけ、で、そのイエロースワンズでも随所に耳を細めると(というかあの強烈なサウンドソニックをくぐり抜けるとようやく)聴こえてくるワールドエッセンスに染まったリチュアル。鬱々とした「(カレント)チベットイズム」に、なによりこのギターミュージック感。チャザムもケーンもクソくらえだ。轟音とか洪水とかそんなタワレコみたいな書き方、僕はしない。要はそもそもが僕の個人的音楽価値観や、超絶個人音楽史学的にぬめりと挿れてくるやらしいあいつみたいなディスクだった。ノイズとかアヴァンとか、ディスクユニオンで呼ぶとこの「019カテゴリー」とちょっと違う、それこそタワレコで言うとこの「ニューエイジ」でもちょっと違う、限りなく2013年の何処の棚にも置きたくなかったオルタナティブ。最近何処かの何処かで誰かしらが騒いでるネオネオネオのそのさらにネオら辺のインダストリアルと一緒に括ろうとする輩はこれを聴いていない証拠だ。ジャケットこそそれっぽいが。でもね、そんなやつのそれには気をつけろ。そもそも雰囲気だけで纏めないで欲しい。聴けば分かる、ぐらいのシンプリシティで押し切れる全編続き通すサッドヴァイブレイション。とにかく悲しい。その強度たるや。因に、僕の大好きな音楽ライター、久保さんもこの作品をつぶやいているのを目撃したことがある。後ろ向きな音楽、極めてダークサイドに身体半分抉られる、悲壮感と絶望感と不幸感。ネガティヴファクターすべてが、今か今かと、これでもかこれでもかとめいいっぱいに降ってくるイエロースワンズ節のあのパワーエレクトロニクスはどうやっても僕の気分を上向きにはしてくれない。アホみたいな顔して聴いていたアホみたいないつもの帰り道といつもの死にたい気分はいつもすべてがセットでいつもの様にその日その日のいつもをやり過ごすいつもの帰り道にはまったく不向きな音楽だ。そんな音楽誰にでも作れるもんじゃない、こんなに強引で音響でそれでもプライヴェイトな電子音楽は前作『Adhere (12年)』(Nils Frahmマスタリング)がクソつまらなかった僕は最高得点をつけておきたい。
Los Microwaves – Life After Breakfast
78年のサンフランポストパンク、誰も知らない何も知らない別にかっこ良くない、むしろかっこ悪いぐらいのポンコツおじさんとヘタレおばさんのクリぃムシチュぅっ。カルト系のシンセポップやニューウェイヴはそもそも僕の得意分野だった訳で、何処にも吐き出す事の出来ない無駄な知識がスメグマのように溜まるこのカルトヴァイナル漁り、カルトディギンはこんな年末のベストディスクセレクションだけでしか放出出来ない。これをミニマルだのなんだのな安っぽい美徳で押さえ付けるのは勿体ない。だから教えてやろう、ぐらいの気持ちでセレクト。アメリカ、サンフランシスコの発掘レーベル「Dark Entries」がやってのけたサルヴェイジリイシュー『Life After Breakfast』はそもそも82年の「Posh Boy」からリリースされたヴァイナル。「Posh Boy」は今回のテキストにそこまで作用が無いのでシカトして、このレーベル「Dark Entries」はブルックリンの8T’sカセットの発掘レーベル「Minimal Wave」と並んで僕自身今年最も興奮したレーベルのひとつ。恐らくディスクユニオンが一番強く流通してるんじゃないですかね、都内だと。そういえば、年末、東京はDommuneと福岡はブラックアウトにて元DNAのIkue Moriさんとご一緒させて頂きましたが(イクエモリ・ジャパンツアー2013の前座として)そのDNA創世記、キーボードを担当していたRobin Crutchfield(イクエさん曰くリンゼイはこのキーボーディストを不必要と考えていたらしい)のソロプロジェクト「Dark Day」の80年作ノーウェーヴ系ポストパンク名盤『Extrerminating Angel (80年、Dark Entriesからのリイシューは12年)』のリイシューもリリースしている。とまぁ、とにかくカルトシンセからアンノウンなポストパンクまでぎっしりオタクが喜ぶタイトルを連発でリリースするこのDark Entries。で、そんな要注目のレーベルが今年、このLos Microwavesを歴史の奥底の片隅のその裏側の洗濯表示をクイっと裏返したあたりから見つけ出しリリース。2曲目の「What’s that got to do with loving you」のつたつたつたつたつたつたっつぅヴォックスのようなチープリズムにプリセットのようなシンセがジングルレベルの低予算感覚で垂れ流れてくるが、ここで食いつければ勝ちだ。ようこそ、オブスキュアシンセポップの世界へ。メグの気合い負けのような情けない歌声がどんどんポストパンク寄りに。「Forever」は表面6曲目は(78年に7インチでリリース、デビューシングルかな)速いしダサいし、僕の大嫌いなゲームボーイの世界感、どの瞬間でかっこつければいいのか。気付けばメンバー全員で掛け声、オリエンタルなメロディは恥ずかしくて電車じゃ聴けない。女の子にもお勧め出来ない、え、先輩これなんすか?こんなの聴いてるんすか?ダサいっすね。うるせぇブス、てめぇには100年早ぇよ(不細工なドヤ顔で今日も出勤しようじゃないか、カルトラヴァーズ)。すげぇ踊れる、その時代の何処にも属せなくて誰にも見つけてもらえなくて一瞬のかっこよさがほんとに一瞬しか無いのだけれど、それはどんな完璧な音楽よりも僕の心を掴んで離さない。3曲目の「Reckless Dialogue」はメグのポエトリーにビザールなシンセウェーヴが絡んでインテリジェンスな雰囲気もある。これを最後に聴けばすべて納得いくはず。
SAND – GOLEM
僕がこの世界に入り込むきっかけ、うん、そんなのには幾つもの何人もの音楽や音楽家がいた訳で、それが誰でどの作品でどんな風にどんな事になったりならなかったりを綴るにはあまりにも惨めな出で立ち。あまりにも悲惨な毎日。僕が毎日被ってるこの帽子なんて、もう4年は使っている、汚い。ほんとに帽子すら買えない。で、こんなことはまったくこのセクションに盛り込む必要がない訳で。父さん、僕はもう集中力が切れている訳で。さて、僕の人生に大きなショックを与えた傷だらけのナースことNURSE WITH WOUNDのステイプルトン、そのステイプルトンが敬愛するバンド。この書き出しで「よし、じゃあ買おう」となってくれるならば僕はそれだけで満足だし、無駄な文字数を読みにくい言い回しで重ね綴るこのテキストで僕のパブリックイメージを消費しなくても済む。shotahiramaって帽子も買えないんだ。って。だから出来る事ならばこの数行らへんで書き終わりたいがどうもうまく出来ない。もうどうにもならない。打ち込んだものをデリートするなんて僕らしくない、読み返しもしないぜそこの女の子。普段ね、人と音楽について喋れない僕はね、2才半の娘とコッシーとサボさんを見続ける日常からの逸脱をここでぶつけるしかないのだよ。そんな事はまるで嘘で、普段から物やお客さんに当たり散らして生きているクソ野郎であろう僕が今年とっても興奮した5枚のうち、この1枚は意地でもランクインさせたかった。オリジナルは74年、今回のこの再発は実は3度目にあたる所謂サードリイシューってやつだ。クラウトロックで人生の音楽観を培ってきた人らにとっては「SAND」というのはいとも簡単に名が通るレジェンドバンドだ。1曲目「Helicopter」冒頭で聴こえるヘリコプターサウンドはあまりにも有名。擦れたギターが物悲しく響くサイケフォーク(コズミックフォークとも呼ばれる)の旋律、その後ろをたゆたう宇宙船系空間音響は飾り付けでもなんでもなくて何処までも本気に創り込んでいるから笑えない。不安感、不穏感、悲壮感、コズミック感は100点満点だ。ステイプルトンが何人目の妻とこれを夜な夜な聴き込んでいるかは分からないが、恐らく、相当、絶対、いや多分、ほぼ間違いなく聴き過ぎたのであろう、そこまで容易にステイプルトンを連想させるこのバンド。現在のナース節を支えるあれやこれやが所狭しと鏤められている。ところでこのヘリコプターは本当にいい曲だ。カレントのチベットもカバーした「May Rain」も完璧なるサイケフォークだ。リチュアルの原点はここだったのか。無駄に耳に残る高域電子音は遠くで泣きながら唱うHannes Vester(Johannes Vester)の声をふらっふらに盛り上げる。いや、僕の気分は盛り下がる一方だが、音楽は楽しいかっこいいがすべてじゃない。とにかく悲しくて、難しくて、言ってる事全然分からないものも嘘みたいに成立する時がある。こんな奇跡的なアンハッピネスはこれぐらいのヴァイナルで味わうしかない。これがSANDだ。因に録音はコズミックジョーカーズのクラウス・シュルツ、とここまでネタばらしすれば余計に理解頂けるであろう。僕のプログレデビューはコズミックジョーカーズ(その後タンジェリンでアモンデュール)だし。グルグルもカンももっと言えばファウストだってだいぶ後だ。なんだっけ、なんの話だっけか。74年、このたった1枚でとんでもない怪物リチュアルミュージシャンを生んだ彼らは偉大だし、もっと多くのビザールファンにこの1枚を聴いてもらいたい。最後にどうしても言いたい事が。ステイプルトンですが、今年、傑作を1枚『Chromanatron』てなタイトルを発表している。これ、SANDの音楽を全編悪質コラージュしたダダイスティックコンクレート決定盤。レディメイドの乱用と変容。SANDの『GOLEM』を買ったのならば、もしくは買えなかったのならばそれを買いなさい。ステイプルトンとライルズの師弟コンビで最強のビザールが彩られている。
shotahirama / DUCEREY ADA NEXINO – Just Like Honey
あれ、僕だ。僕の作品だ。と、毎年この企画で書かせて頂く時は必ず1枚、自分のレーベルからピックアップさせてもらっている。で、リンクだけ貼って逃げる。僕が大好きで愛してやまない音楽家DUCEREY ADA NEXINOを口説きに口説いて実現した僕と彼のスプリットシングル。当時はスプリットやらシングルやらという表現は避けていたのですが、レーベル在庫はすべて完売し、現在は流通在庫分のみなので、見つけたらすぐに買った方がいいです、レーベルとしても初のCDシングル。
これをクリックすればすべてが分かる。
http://www.signaldada.com/justlikehoney.html
shotahirama
ニューヨーク出身の音楽家、shotahirama(平間翔太)。2011年のデビューCDアルバム以降「ノイズ、具体音が曲想的な音楽に」(Sound&Recording誌 11年5月号)「ドラスティックに引き裂かれる時間と空間」(音楽家 evala /port, ATAK)「繰り返し聴いて徐々に染み込む良さ」(音楽家 Ametsub)「身震いする作品」(ウェブマガジンQetic)さらにはCDJournal、The Japan Times、Art World Magazine等、様々な雑誌・メディアにて高い評価を得る。2010年に音楽レーベルとして原盤の企画制作及び音楽出版等の事業を展開する SIGNALDADA を設立、これまでに2枚のソロCDアルバムと1枚のシングルを発表。また、世界的音楽家であるKangding Ray、Atom™、Ikue Mori等のジャパンツアーにゲストアクトで出演、そのライブパフォーマンスの評価も高く今最も注目すべき新鋭音響家と評されている。